
冷蔵庫にあるスーパーの卵を、ていねいに温めつづけたら、ヒヨコは生まれるのでしょうか。
答えは、生まれません。お店に並ぶ卵は、そのほとんどが無精卵——受精していない卵だからです。温める以前に、ヒヨコになる準備そのものが始まっていません。
ただ、話はここで終わりません。では、もし受精した卵(有精卵)だったら、温めはじめた日が、ヒヨコの「スタート」なのでしょうか。実は、そうではありませんでした。有精卵は、産み落とされた時点で、もう「途中」なのです。
なぜ、スーパーの卵は孵らないのか
卵を産ませるための農場では、メスのニワトリだけを飼います。オスがいなければ受精は起きず、産まれる卵は無精卵になります。無精卵は、どれだけ温めてもヒヨコにはなりません。相手の細胞が入っていないので、そもそも育ちようがないのです。これは農林水産省も同様に説明しています。
「有精卵」も売られてはいます。オスとメスをいっしょに飼い、受精した卵です。ではこれを温めれば孵るかというと、やはりほとんど孵りません。あとで見るように、受精した卵は、産まれたあといったん発生を止めて待つことができます。ただし、そうして待てるのは、涼しく安定した場所に置かれた、かぎられた期間だけです。お店に並ぶ卵は、産まれてから数日〜数週間がたっているうえ、そうした孵化向きの置き方をされてきたわけでもありません。だから、あとから温めても、うまく発生を再開できないことがほとんどなのです。
ひとつ、例外があります。うずらの卵です。うずらは体が小さく、品種によってはオスとメスの見分けがつきにくいうえ、群れにオスがまじって飼われることもあります。そのため有精卵がまぎれて出荷され、スーパーで買ったうずらの卵からヒナが孵った、という例が、まれに報告されています。
産み落とされたとき、卵はもう「途中」だった
ここからは、受精した卵の話です。
ニワトリのメスの体の中で、受精は、卵が産まれるよりずっと前に起きています。黄身が卵管を下りはじめる、いちばん上のところ。そこで受精した卵は、殻ができあがって産み落とされるまで、母親の体の中に約1日(24〜26時間)とどまります。
体温は、およそ41度。この温もりの中で、受精した1個の細胞は、休みなく分裂をくり返します。そして産み落とされる頃には、黄身の上にある小さな白っぽい部分は、すでに数万個の細胞が集まった、うすい円盤になっています。
つまり有精卵は、産まれた瞬間から、まっさらなスタート地点ではありません。体の形は、まだ何もできていません。けれど、体をつくりはじめる直前——原腸形成の一歩手前まで、すでに進んでいるのです。原腸形成とは、平らな細胞のシートが折れこんで、体の設計がはじまる出来事です。

なぜ、途中で止まって待つのか
産み落とされた卵は、母親の体を離れて冷えます。すると、さかんに分裂していた細胞は、発生を止めます。その場で、じっと待つ——これを発生休止(一時停止)と呼びます。
止まることには、意味があります。母鶏は卵を、1日に1個ずつ、10個ほど産みためます。もし先に産んだ卵から順に育っていったら、孵る日がばらばらになり、母鶏は面倒を見きれません。そこで、産まれた卵はいったん止まって待ちます。母鶏が産み終えて、いっせいに温めはじめると、止まっていた胚がそろって発生を再開し、ヒナはほぼ同じ日に孵ります。
この仕組みは、ヒヨコをかえす農家(ふ化場)でも使われています。産みたての受精卵をすぐには温めず、少し涼しいところに数日おいて発生を止め、そのうえでまとめて温める。そうすれば、ヒナがそろって孵り、世話がしやすいからです。裏を返せば、産まれてから日がたったスーパーの卵は、このそろっての再開が、もううまくいかないということでもあります。

有精卵か無精卵か、家でも見分けられる
受精しているかどうかは、卵を割ってみると分かります。黄身の表面をよく見ると、白っぽい小さな部分がひとつあります。ここが、ヒヨコになる部分です。
無精卵では、この部分は、輪にならず、ぽつんとした小さな点に見えます。 有精卵では、同じ場所が、小さな輪(ドーナツのような形・直径3〜4ミリほど)に見えます。この輪こそ、さきほどの「数万個の細胞が集まった円盤」です。中央の透明な部分と、それをふちどるリング。神経も、心臓も、体も、まだ何もありません。ただの細胞のシートが、温もりを待って止まっている姿です。
スーパーの卵を割れば、そのほとんどは、ぽつんとした点のはずです。それが、この卵は温めてもヒヨコにならない、という何よりの証拠です。

卵が産まれるまでに、起きていること
- 受精:黄身が卵管を下りはじめる、いちばん上で(産まれる約1日前)
- 産卵のとき:すでに数万個の細胞・原腸形成の一歩手前まで進んでいる
- 産卵のあと:冷えて発生が止まる(発生休止)→ 温めるとそろって発生を再開
- 見分け方:黄身の白い点が「輪」なら有精卵、「点」なら無精卵
まとめ
命の始まりは、卵が産み落とされた日ではありませんでした。有精卵では、始まりはもっと前——母親の体の中で、すでに数万個の細胞にまで進んでいます。産卵は、スタートの合図ではなく、いったん発生を止めて、温もりを待つための一時停止(発生休止)だったのです。
スーパーの卵が孵らないのは、その一時停止すら始まっていないから。温められるのを待つ細胞の円盤が、無精卵にははじめから存在しないのです。
出典情報
- Nagai, H. ほか(2015)Development(理化学研究所・オープンアクセス)——ニワトリ胚の卵割期を細胞レベルで解析。受精から産卵前にかけて、胚が細胞分裂によって1個から数を増やしていくようすをまとめている。
- Sheng, G.(2014)Developmental Dynamics ほか「産みたての胚盤」に関する研究——産み落とされた時点のニワトリ胚が、発生段階でいう「ステージX」にあたり、黄身の上のうすい円盤(胚盤)がすでにおよそ数万個の細胞からなること。細胞数は数え方によって幅がある。
- Pokhrel, N. ほか(2022)Frontiers in Physiology(オープンアクセス)——ニワトリ胚が原腸形成の手前で低温によって発生を止める「発生休止」の性質。同じ時期に産まれた卵がまとめて温められることで、いっせいに孵る(同期して孵化する)こと、貯卵の温度が育ちの再開を左右すること。
- 農林水産省「有精卵と無精卵の違いについて」——採卵鶏はメスだけで飼うため市販の卵はほぼ無精卵で、温めてもヒヨコにはならないこと。栄養価に有精卵・無精卵の差はないこと。
- Aviagen ほか家禽の飼育資料——割った卵の黄身の上で、受精した胚盤が中央の透明部とそれをふちどるリング(輪)として、未受精のものが小さな点として見えること。
本文中の〔産卵時に数万個の細胞・原腸形成の一歩手前・冷えると発生が止まり温めると再開する・黄身の白い点が輪か点か〕は上記の研究や公的資料に基づきます。産卵時の細胞数は数え方によって幅があり、本文では「数万個」としています。